いのち以前ドラマ化されたこともあるので、ご存知の方も多いかと。緩和ケア病棟で働いていたとき、よく『電池』のたとえを出して家族の方とお話をしたことがあります。 薬のせいもあるし、旅立ちの準備の時期ということもあり活動性が低くなっていくとき。 電池がおしまいになるときって、あれ?切れたかな、と思ったらまた、ふっと盛り返すときもある。でも、徐々にやっぱりパワーがなくなっていく。あなたの大切な人も、そういう時期なのでは? ふっと盛り返したときに、素敵な時間をすごせるといいですね、と。でも、そうでない時にも傍にいてくれる人がいるって、ご本人にしたら更に素敵なことではないですか?と。 いのち 命はとても大切だ 人間が生きるための電池みたいだ でも電池はいつか切れる 命もいつかはなくなる 電池はすぐにとりかえられるけど 命はそう簡単にはとりかえられない 何年も何年も 月日がたってやっと 神様から与えられるものだ 命がないと人間は生きられない でも 『命なんかいらない。』 と言って 命をむだにする人もいる まだたくさん命がつかえるのに そんな人を見ると悲しくなる 命は休むことなく働いているのに だから、私は命が疲れたと言うまで せいいっぱい生きよう 『電池が切れるまで』の仲間たち 子ども病院物語 参照 |